????うわー。性自認の概念を茶化し始めたジェンダーの専門家がいるんだ。性自認の概念は、性同一性障害(性別違和)を含むトランスジェンダーの人々を承認し守るための法的概念で、性自認の否定はトランスの人の尊厳の否定でもあるので、シングルスペース確保の立場とは一線を超えているのだけど。
— kazukazu88 (@kazukazu881) March 6, 2023
だから?いわゆるTerfの代表的学者と見られているキャサリン・ストックでさえも性自認の概念を否定しないし、ましてやトランスジェンダーを保護する差別禁止法も必要性を認めていますよとしか。
— kazukazu88 (@kazukazu881) March 6, 2023
論文引用してなんか自分で議論するならともかく、「これ読め」というのは・・・稚拙な「議論」・・・というより議論ではない。なんかの権威に訴えているつもりか?英国のWomen's Declaration Internationalみたいな団体は、性自認の概念の否認を主張し活動しているけど、それはトランスジェンダーの人々を法的保護・国際人権法から抹消する活動を意味するので、ヘイト団体と見られている。日本にも賛同している団体があるようだけど。
— kazukazu88 (@kazukazu881) March 6, 2023
The YPs state that gender identity is: 。“understood to refer to each person’s deeply felt internal and individual experience of gender, which may or may not correspond with the sex assigned at birth, including the personal sense of the body (which may involve, if freely chosen, modification of bodily appearance or function by medical, surgical or other means) and other expressions of gender, including dress, speech and mannerisms.”
訳しにくい文章なのでおれなりに解釈すると、ジェンダーアイデンティティ・・・自分の社会文化的性別が何であるかは、その人の内面の深いところで自分の性別をどのように感じ、また、どのように経験するかによって決められるもので、誕生時に割り当てられた性別に合致するとは限らない。性別の観点から、外見や機能を含めた自分の身体の感覚、そして、服の着かたや、喋り方、行動様式について自分がどのように感じているかによるのである、と。
This is particularly clear when, following a misapplication of the Yogyakarta Principles definition, the Declaration states that “the concept of ‘gender identity’ has enabled men who claim a female ‘gender identity’ to assert, in law, policies, and practice, that they are members of the category of women, which is a category based upon sex.” Trans women are, of course, women – not men. However, the Declaration refuses to refer to them as such
反ジェンダーアイディティ派に対する反論になっていない。反ジェン派は、「性自認」という概念は自称女性によって悪用されている、ということを懸念しているわけだろう?
It then, to be colloquial, says the quiet part loud: “The inclusion of men who claim a female ‘gender identity’ within the legal categories of woman, of lesbian, and of mother threatens to remove all meaning from these categories, as it constitutes a denial of the biological realities on which the status of being a woman, being a lesbian, and being a mother are based.”
ただ、反ヂェン派も極端かもな。
女だという男を法的に女だいうことにしまえば、従来からある「女」や「レズビアン」や「母親」という分類事態が無意味になってしまう。それらは生物的性別にもとづいているからだ、と。
おれが思うに、問題は性自認が主観的であり、主観を法的、社会的すべての領域で通用させようとしているところ。
deeply felt internal and individual experience of gender
こういう主観的な感覚があり、例えば、誕生時には男でも自分は女だ、 と小さいときから確信しており、男としての身体、男の服装、喋り方、行動様式に違和感がある人達が居ることは疑わない。
しかし、deeply といっても結局主観であり、そうした違和感に動揺がある人たちがいるのも事実。また、全然嘘っぱちでにわか女性がおり、事件があるのも事実。
自分の主観的判断を社会のすべての局面で通用させようとするのは無理がある。
Equality law in a domestic jurisdiction, such as the Equality Act 2010 in the UK, covers admittance to “single-sex spaces” such as refuges. It differs across jurisdictions, but as a rule, trans women are allowed into spaces designated as being for women, unless there is a compelling and legitimate reason to the contrary – and even then, proportionate and reasonable accommodation must be made for their protection.
原則、トランス女性は女性施設に入ることができるが、但し、止む得ない正当な理由がある場合にはこの限りではない、もっとも、その場合でも適切な場所が提供されねばならない、と。
トランス女性に対する不安というのは外見はトランス女性だが心は男の pseudo-transwoman”、似非トランス女性とも言うべき人たちの存在。
主観は主に口先で判断されるから、まぎれこまれたらわからない。
やはり、ある人の社会的文化的性別がなんであるかは、主観のみならず、成育歴など履歴を調べた上で専門家による客観的な承認が必要であると考える。
また、施設の運営管理者としては、女性IDをみせてもらえらば、入場可として客観的基準があったほうが安心なわけよ。それは同じ施設に居る女性もそうだろう?
ちなみに、
There is no law that I am aware of, and I have cowritten three volumes of a global report on gender recognition law as well as a PhD thesis on international law and gender identity, which attempts to limit the right of anybody to hold opinions about gender identity or impose legal sanctions on any individual or party, public or private, for holding an opinion. Actively participating in hate speech or harassment is, of course, sanctioned by law in many jurisdictions, but unless one is partaking in that sort of activity, that is not a concern.
ジェンダーアイデンティティについて特定の意見をもち表明することを制限するようなそれがヘイトスピーチでない限り、ないですよ、と。
The next paragraph of the Preamble makes an ideological claim: “the concept of ‘gender identity’ was developed specifically out of a body of postmodern and ‘queer theory’ in the West and is being disseminated through powerful organizations internationally, including in countries where the term ‘gender’ does not exist in local languages and cannot easily be understood.” Again, no citation or proof is offered of this,
しかし、ジェンダーなんて日本語になかった概念だよな。
反ジェに賛成はしないが、しかし、ジェンダーアイデンティティという概念が、かりに自認を意味するならば欠陥のある概念だと思う。
アイデンティティって、自認もあるけど他人からの承認がないと無意味なのよ、自分についてなんと思おうと勝手だが、しかし、それを社会に通用させようとするなら一定の他者からの承認は必須で、そのためには私的な基準だけでは足りないだろう、というのが私見。
性別で区切られた施設をつかう資格について従来は性器の形状で判断すればよかった。それで問題はほぼなかったのであり、女性を守るものでもあった。
しかし、起こり得る問題に対処するために、”deeply felt internal and individual experience of gender”についてそれが真摯なものか、どうか、複数の専門家に判断を仰ぐべきではないのか、というのが私見。
なるほど。一神教の国とは違い、日本では同性愛等が公権力により犯罪化されたり、社会生活を不自由にするレベルでの暴力や差別を受けたという歴史的経験がない。迫害や差別がないとは言わないが、理解増進法以上に人や企業の言動を制約することを正当化するだけの立法事実がないということを無視すべきではない。 https://t.co/iCyeNF2SIb
— 山口貴士 aka無駄に感じが悪いヤマベン (@otakulawyer) March 6, 2023
だから、反差別法がとおってしまえば、それが差別だ、ということになるんじゃないか、ということだろう?チンコあっても自認=女性の人はいるわけだから。”MTFが女性用公衆浴場を使えるかどうかは、私が把握している限り、公衆浴場組合では戸籍変更の有無にかかわらず、男性器の有無、すなわち性別適合手術をしているかどうかを基準としているようです。” https://t.co/1ONxinoqt2
— Guardian-reading wokerati (@suzuky) March 6, 2023
as a rule, trans women are allowed into spaces designated as being for women, unless there is a compelling and legitimate reason to the contrary – and even then, proportionate and reasonable accommodation must be made for their protection.チンコの有無はCompelling reason to the contrary にあたるのか、どうか・・・・そこらへん議論が全然煮詰まっていない。
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