2022年9月12日月曜日

より多くの人命が失われても正義を貫くか、正義を一部犠牲にしてより多くの人命を救うか

 

戦争や内戦において、停戦や和平の実現、つまり、戦いを止めさせるには、人権問題を“棚上げ”にしなければならない時が往々にしてある。人権侵害や戦争犯罪を厳しく裁くと脅していたら、紛争当事者は銃を置いてくれないから。


微妙なところだね。

 ウクライナに正義はある。自衛は正しい。

 しかし、そうするために米国が大量の武器を供与し続ければ、戦争は長引きより多くの人命が失われるかもしれない。

 より多くの人命が失われても正義を貫くか、正義を一部犠牲にしてより多くの人命を救うか。

 この戦争の背後に米国が大きな役割を果たしているのは確実。

 今回のウクライナの躍進だって米国なしにはできない。武器の供与のみならず、作戦だって関与していた可能性もある。米国の目的はロシアの弱体化だから、表向きはどうでようと、どれだけ長期化しようと、人命がどれだけ失われようが構わない。

しかし、ウクライナにもロシアにも大量の人的犠牲が生じる。


戦争は人間を悪魔にする



ウクライナに無差別攻撃して恐怖を与えれば、ウクライナはすぐに降参するだろうと考えたロシアも間違っているが、


ロシアを追い詰めればすぐに降参するだろう、というのも間違っているように思う。 

そして、降参しないで長期化すれば、戦争は激化、より多くの人命が失われるんではないかな?


 正義を全面的に貫く、というのも間違っていないが、人命犠牲をこれ以上増やさないために正義を一部犠牲にする、というのも必ずしも間違ってはいない・・・・だから難しいところで、単純な話ではない。


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