2023年5月23日火曜日

Start getting serious about figuring out who the hell you are

 

 


 知らんかったわ。
  この当時、東洋人男性と白人女性が恋するという設定は斬新だったろうね。  漫画と芸術作品って連続ものだよなあ・・・ただ、世界ではまだ、漫画の方が評価が低いのがちょっと残念。

   

  美しい話。

 Guardian-reading wokerati Retweeted

深いね・・・・映画「道」

 


「道」のなかで  綱渡り芸人が


 Every existing thing, is here on purpose.

For example...

- This stone here...

- Which one?

This one. It's here for some reason.

And this little stone...

- For what?

- For...

What do I know?!

If I knew that, then I would be...

the almighty God, who knows everything.

When you're born, when you

die, who knows that.

I don't know for what that stone is

good, but it has got its function.

Or everything would be meaningless.

Even the stars.

That's, what I believe at least.

And you...

You're good for something as well.

With your artichokelike face.


 存在するものはすべてに目的があるんだ、例えば、この石だって・・・と解説。ジェルソミーナは「その石の目的は?」と聞くが「それがわかればぼくは全知全能の神になっていたかもしれない・・・」とお茶を濁す。「とにかく何かの役に立っているはずだ」と・・・

ーーーキリスト教圏的な発想だととにかくすべてのもの神が割り当てた目的があるはずだ、目的はあるはずなんだけど、人間がそのすべてを知っているわけではない、と。

ただ、目的も役割もない、無用の用みたいな発想・・・老荘的というか・・・有用性を超えた発想も必要。

 誰かの役に立っている、というのは生きがいとして重要。先程の臓器提供の美しい話もこの範疇にある。だが、誰の役にたっていなくても・・・というより役にたっているとか、目的を果たしているとか・・・そういう思いを超脱しても存在していいし、それで十分なんだ、という思想も貴重なんだよなあ・・・「存在している」というだけで何の言い訳も正当化も要らない空間。 

Martha’s words gave Wright the push he needed to “start getting serious about figuring out who the hell I was”. To this end, in March, at 68, he travelled to Mexico for his first psychedelic experience.
「自分とは何か?」ーーー人生で最も深遠な問いかけだろうね。

 そう言えば、最近、高校の時の担任の訃報が届いて、久しぶりに同級生にメールした。先生への哀悼の思いとともに「人生って苦だなと思うようになりました。苦から解放され無になるのは決してい嫌なことではないような」と返信がかえってきた。
 彼女は医者になって医者と結婚して世間的にはいい暮らしをしている。若い頃、彼女はヘッセの「車輪の下」がいいと言っていた。私は「シーダルタ」に感銘を受けていた。シッダルタは晩年ようやく真理を悟り川の渡し守になり静かに暮すが「車輪の下」のハンスは自殺のような形で、川で溺死する・・・・返信をみてなんか心配な思いがよぎった・・・思い過ごしだろうな・・・
 
ちなみに、「シッダルダ」のなかの石についての断想

 

シッダールタはかがんで、地面から一つの石を拾いあげ、手のひらで軽く動かした。


 「これは石だ」と彼は戯れながら言った。「石はおそらく一定の時間のうちに土となるだろう。土から植物、あるいは動物、あるいは人間が生じるだろう。昔なら私はこう言っただろう。『この石は単に石にすぎない。無価値で、迷いの世界に属している。だが、石は変化の循環の間に人間や精神にもなれるかもしれないから、そのゆえにこれにも価値を与える』。以前ならたぶん私はそう言っただろう。だが、今日では私はこう考える。この石は石である。動物でもあり、神でもあり、仏陀でもある。私がこれをたっとび愛するのは、これがいつかあれやこれやになりうるだろうからではなく、ずっと前からそして常にいっさいであるからだ。

 

Siddhartha bent over, picked up a stone off the ground, and
weighed it in his hand 
This," he said playfully, "is a stone, and after a certain length of time, it will perhaps be earth, and from the earth a plant will come,or an animal or a person. Formerly I would have said: 'This is just a stone, it is worthless, part of the world of Maya. But in the cycle of transformations it can also become human and spirit, and so I attribute value to it.' That is perhaps how I used to think. But today I think: 'This stone is-a-stone, it is also a beast, it is also God, it is also Buddha.

 「一即一切」で思想としては悪くはないのだが、いまのおれなら石を目の前にしてちょっと観念を入れすぎじゃね?というのが感想。もっともこの後すぐに、"But let me say no more. Words do no justice to the hidden meaning.”「これ以上それについて言葉を費やすのはやめよう、言葉はうちに潜んでいる意味をそこなう」とシッダルタ自身も警告している。

 仏教的にいうと「意味」をそこなうというよりreality というか真如を損なうということだろうね。



若い人に教わった・・・どうかなあ。


クローン音声なんかもできるんだ?

 AIを悪用した音声クローニングの詐欺から身を守るには、(1)家族や信頼できる親しい友人との間でのみ通用するパスワード(合言葉)を口頭で確認しておくこと、

家族と話すときに合言葉がいる・・・・すごい時代になってきたね。

 


最初から「カエル入り」とか書いておけばよかった!・・・・なわけない。


 更新

 

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